夕焼けとさくらんぼと味噌ラーメンと

便利になることについて考えた話

テレビで見たスマートスピーカーのCM、こんなことまでできるの!?と思うと同時になんだか寂しさを感じるのは私だけだろうか。

家族総出でリモコンを探したり、暗闇の中で電気付けようとして誰かの足踏んじゃったり(CMだと猫ちゃんだからそれはかわいそうだけど)、なんだか、そういうハプニング的なことが減っていっちゃうのかなって思うと寂しい。そういうのが思いがけずすっごい面白くて、爆笑の種になったりするからなぁ。

 

もちろん便利は最高だ。

 

便利なおかげで私たちは、真冬の寒い中ひえひえのお水で洗濯物を手洗いする代わりに洗濯機のボタンを押してあたたかいココアを飲みながら録画した映画を見ることができるし、煙まみれの汗まみれにならずとも炊飯ボタンを押してご飯の炊ける間に主菜を作ることができるし、遠く離れた友人に手紙をしたためる1/10ぐらいの時間で何人もに近況を伝えることができる。なにより家でデロデロのタンクトップ着て飲酒しながらこんな時間にこんな徒然文を自由空間にアップすることができるのは便利の恩恵以外の何物でもない。

 

とはいえ、やっぱり便利じゃないものに結構惹かれる私がいて。

フィクションの物語は紙の手触りを感じながら読みたいし、キラキラしたCDをプレイヤーに入れる時のわくわく感は何物にも代え難いし、なにより直筆の手紙が好きだ。

 

昭和の人が「私たちの若かった頃はね、恋人からの電話は家電にかかってくるしかないから、家族の目を気にしながらコソコソ電話したんだよ〜それが青春だったんだよ〜」

とどこか名残惜しそうに、寂しそうに言う感覚はこれと一緒なのかな。あの頃は、えっ携帯にかかってきた方が全然いいでしょ…家族のいるリビングで話すとか気まずすぎて青春どころではないでしょ…と思ったけど、今はなんだか、その話をしたくなる気持ち、ちょっと分かる気がする。不便は思い出を深く刻むからね。苦労したり時間かかったりした分だけ、思い出に残ることは多い。良くも悪くも。

 

ま、便利になったらなったでまた新たな不便やハプニングは生まれるだろうし、この寂しさやちょっとした不安はただの平成の先端に産まれしBBAのノスタルジーなのであろう。大人になったとはこのことなのか。

そしてこんなこと書いていながら5年後ぐらいにはもはや身体の一部かのようにスマートスピーカーを使っていて、この記事のことをなんじゃこの杞憂記事はw便利に越したことないやろwと思ったりするのでしょう未来の私よ。

 

それにしても、たかだか30年弱生きてるだけでこんな風に思うのだから、うちのおじいちゃん(御年99歳)はすごい。意識的にも無意識にも、いろんなものを乗り越えてきたんだろうなぁ。

 

と、昭和51年に発売されたCDを聴きながら思った平成最後の夏の夜。

James Taylor: Greatest Hits

James Taylor: Greatest Hits

 

(Amazonではなぜか発売日が平成になっている。日本版が発売されたのってこと?)

ちなみにこのベストはTrack5~8の流れが最高。いつ聴いても最高。色褪せないとはこのこと…!

 

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