夕焼けとさくらんぼと味噌ラーメンと

2020.10.02

久々になってしまった!

何だか夏は書く気が起きなくて、気付いたらもう10月かー。

どんな状況でも、時間は平等に過ぎていくのだな。

 

おばあちゃんとお別れする日は遠くない、次また会える可能性だって全然高くないと10年間の帰り際いつも思ってはいたけど。いざ本当にそうなると、悲しさや寂しさはもちろんあるんだけど、もう何をしたって抵抗できないんだっていう諦めのような、言うなれば清らかな無力感が大きかった。

はーーーーそっか、お別れなんだなぁ、でも何かやっぱり実感湧かなくて、正直今だって入院してて来週帰ってくると言われれば信じてしまいそうなぐらい受け入れたようで受け入れてない感覚で、でもおばあちゃんの部屋の介護用ベッドや車椅子はなくなっていって、何だか結局、よく分からない。理解してるんだけど嘘みたいで、この10年間いろんなことがあったはずなのにそれも夢みたいに一瞬に思えて、でも過去の自分の日記とかを読むと本当に本当にいろんなことがあったと記されていてそうだったっけそうだったなぁそういえばと思ったりして、泣いていいと思えばすぐにでも泣けるけど思ってたより落ち着いてて、うーん、とにかく一言では表せない気持ち。

人が新しく産まれる、ということもそうなのかもしれないけれど、人が亡くなる、もうどんなに願ってもどんな手段を使っても物理的には会えなくなる、というのはすごく不思議だなぁと思う。死ってなんだろう?気になりすぎてその週末、ニュートンの死とは何か、というムックを買った。が、分かるようで分からない…。

でもひとつ良かったこと、というか知ったこととしては、事前に想像していたより実際はスッと受け入れられたということ。それは、親でなく祖母だからかもしれないし、長きにわたる介護生活の末だったからかもしれないし、ある程度時期が知れていたからかもしれないけど。本当もうそろそろ、という頃になって想像すればするほど不安と恐怖がすごくて、どうなってしまうんだろう本当に終わりなんてくるのかななんでお別れなんてあるの怖いよと嫌な夢まで見る始末だったのだけど、いざそうなってしまったらなんだろう、自然の摂理だから仕方ないことなんだな、これは順番だから、と思えた。上にも書いた清らかな無力感というのはこのことで、何かもう、自分の力が一切及ばない場所にいってしまった、ということが強く実感された。

おばあちゃんは天国に行ったんだな、仏様になったんだな、家族に会ったかな、楽になれたんだねよかったね、と心の底から思った。宗教は、こういう時のためにあるんだなと知った。

また、より一層自分に近い人だったりもしくは自分自身の番になったらどう思うのかは分からないけど。とにかく、事前にあれこれ想像して怖がるのはあまり意味がないな、といつも以上に思えた出来事だった。

あと、ここ10年以上にわたって亡くなる時に後悔しないように、ということが自分の基準のひとつになっていたけど。多分ね、亡くなる時に後悔なんてしない。思うのは周りへの感謝と楽しかったことについて、だけだと思う。だからもう答え合わせをする前提で自分の選択に自信を持てないのはやめよう。今そう思ったならそれでいいんだよ。大丈夫。

 

49日を迎える前、おばあちゃんが夢に出てきた。80歳頃の姿で、ちょっと痩せていて心配したけど、お刺身みたいなものを食べていて、私に向かって、何の鍋が好きなの?私は金の鍋シリーズが好きなの、ふふ、と言って笑っていた。何の話だよと思ったけど、その笑い方や声、仕草が控えめでかわいらしいおばあちゃんそのままで。嬉しかった。会いに来てくれてありがとうね。

 

おばあちゃんのタンスを整理する段階で長袖シャツやスカート、ストールをもらったのでこれからの季節どんどん着ていこう。おばあちゃんはおしゃれだ。それもまた嬉しい。

 

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秋晴れのなか、爽やかな風にのって金木犀の香り。夏、終わったんだなぁ。何もしなかったけど、また来年も来るもんね。自然は偉大すぎて太刀打ちできなくて、人間にできることなんてたかが知れているなぁと思う。でもその力関係が今はとても心地良い。

パンプキンスコーン、美味しかった!

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