夕焼けとさくらんぼと味噌ラーメンと

2019.06.02

今週のお題「家で飲む」だったのね。偶然にもこの間初めて粉でコーヒーを買って、この週末はそれを飲むのが楽しみで珍しく早起き(9:00だが)。

初回は量を失敗してコーヒー風味の水になってしまったため、しっかり器具を揃えてグラムも測って今朝再挑戦。

淹れてると部屋全体がコーヒーの香りになりしあわせ〜〜〜はぁぁ。

コーヒーが水を含んで膨らんで、アクが出てあわあわになってくのを見ていると不思議と落ち着く。コーヒー淹れるの…いいな…!

いつも飲んでるインスタントと味比べもしてみたんだけど、コクと濃厚さが段違い…正に嗜好品って感じ…。逆にインスタントのはさっぱりして飲みやすいから、気分に合わせて飲み分けていきたい。たのしい。

 

川崎の事件のことを考える。実は自分も最初は、脊髄反射的に人を巻き込むことへの怒りを感じたのだけど、じゃあどうしたらよかったんだろうと考えたら何も答えられなかった。人を巻き込むなと突き放していた自分の怒りの感情は、なんて簡単なものなのだろうと思う。他人事と思い正義感をかざすことは一番簡単で、怖い。理解できない、自分はそうなるはずがない、なんて言えないんだよなぁ本当は。自分がここまでそうならなかったのは、運が良かっただけなのにね。もちろん、理解して寄り添ったって短期的には自分が苦しいだけで何も変わらないし、彼がやってしまったことは罪でしかない、けど。でもなぜか、突き放すのは違う気がする…逃げというか見ないふりというか…うーん、うまく言えないけど…

 

サンジャポで爆笑問題の太田さんが言っていた、自分の命を大切にできなくなると他人の命も軽視するようになってしまうっていう話。そうだよなぁ。

 

やはり声をあげやすい社会を目指さなければ根本的解決にはならないよね。自分がそういう性質だからより思うけど、ひとりで考えていると想像ってどんどん膨らむものだから、世界全員が敵に思えることや詰んでる事態って事実以上に自分で脚色して作り出していることもあって、違う場所から見れば簡単に解決したりする。でもまず声をあげられないとそんな機会に出会うことが難しくなる、それってとてももったいないことで。

そのためには、突き放すような「排除」の姿勢を変えることがまず必要なんだろうな。排除せずに知ろうとすること、理解すること。それは実際やろうとすれば消耗するし、相手やタイミングなどによってうまくいかないこともたくさんあると思うけど。でも排除しないって思いだけでも、救われることはあると思うんだよね。寄り添われたところで自分の気持ちなんて他人に分かるはずない!って思っても、確かに100%は分からないかもしれないけど分かりたい気持ちがあるって伝えてもらうだけで、ちょっとだけ、開いてみようかなと思える。現に、私がここまで幸運に生きてこられたのは、家族や友達や出会った人たちが、分かろうとしてくれたからだ。

 

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排除しないこと、自分の奥底にもある負の気持ちから目を背けないこと、思考停止して突き放さないこと。書くと簡単だけど、やるとなるとめちゃくちゃ難しいこと。でも、できるようになりたい。誰かのためにも、そして自分のためにも。

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