夕焼けとさくらんぼと味噌ラーメンと

2019.09.22

ニューカレドニア最終日は、チェックイン後20時すぎまで時間があったので寝坊してのんびりパンを買いに行き、ビーチサイドのベンチに座りながら図書館で借りてきた本を読んだ。彼は貝殻とサンゴ探しに夢中。帰ったらシェーディングランプ?を作るらしい。帰ってからまた楽しみを作るところが素晴らしい。えらいぞ。

 

ニューカレドニアはどうあがいても何かすることができないぐらい何もなくて、ひたすら綺麗な海が広がっている。毎日、本当に文字通り何もせず海を見て時間を過ごした。でも、緑も多くて鳥のさえずりが心地良いし、人も多くなくみんなのんびりしていて、私は結構好きだなぁ。

海外に行くと、何もしないで一日過ごしても一切罪悪感がないのが不思議。日本にいると空き時間はどうしても何かしなきゃとなってしまってでも自分の身体は動きたがってなくて、その心身の相違から、一日中寝てしまった日などは夕方罪悪感でどよんとなるのに、海外に行くと職員が少なすぎる税関で30分以上待たされても仕方ないなぁと思うだけだし、ただ海を見てぼんやりしてたまに写真撮って寝て一日が終わっても何も思わない。むしろしあわせ〜とすら思う。なんでだろ。

 

そして大抵の国で、何だかみんなのんびりしていて肩の力が抜ける。どこで採算取れてるのか不明だけど、例えば飲食店の店員さんは基本携帯いじるか同僚と話して暇を自分本位に使っていて、成長意欲とか上を目指してる感じが極めてゼロ。割り切り方がすごいなぁと感服。私は割り切るのが下手で諦めが悪いから、それに苦しめられることが多々ある。そんなに自分を苦しめる必要ないのにね。あぁ、もっとシンプルになりたい〜〜〜。

 

帰ってから何を食べようか、野菜が食べたいからキムチ鍋かやっぱりお味噌汁に納豆ご飯もいいよねぇと彼と話す。束の間の非日常は、あっさり日常に飲み込まれていく。それはどこか寂しくて、でもなんだか安心している自分もいたりして。

 

趣味は海外旅行、と言うことがあるけど、私にとっての海外旅行とは家に帰ってきて日常を取り戻すところまでを言っている。日本の空港に着いて馴染んだトイレの心地よさに感激して、帰りのバスで音楽を聴きながら(今回ははっぴぃえんどの風をあつめて、と決めている。この曲は本当詞も曲も最高すぎて…あぁ…好きだ…)旅先での日々にぼんやり想いを馳せて、玄関を開けて家の匂いにほっとして、お風呂に入って(旅終わりのお風呂上がりの自分は本当にびっくりするほどさっぱりした良い顔をしている)、野菜をいっぱい使ったごはんを食べてあぁ~自分の家ってやっぱり最高~~~とリビングにごろんとするまでが一連のセットで好きなのである。

だから、海外旅行の何が好きなのか、何が楽しいのかはどうしてもうまく言えない。解放感、というのは少し簡単に言い過ぎている気がするし、自分自身の生物としてのポテンシャルを試されてる感と未知との遭遇、そしてそれを無事終えた時の安心感のセットというか…でもそれに何万も払ってると思うと我ながら謎だな…修行かよ…うーん、やっぱりうまく言えない。これが理屈を超えているということだろうか…。

 

日本は数日前から秋の陽気だと父からLINE。秋はお洋服がかわいいしご飯が美味しいから大好き。生足にブーツ履きたいし、半袖に厚手のストールとかもかわいい。シャインマスカットも産地まで買いに行きたい。

 

生きてるって面白いなぁ。永遠なんてないと分かっているけど、いつまでも健康に、好きな人たちと共に生きていきたいな。

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