夕焼けとさくらんぼと味噌ラーメンと

祖父母の家とお別れした話

おじいちゃんが亡くなって一年以上が経った。

 

おじいちゃんとの思い出、なんて考えるともう膨大すぎて、特におばあちゃんが介護が必要になってからの10数年は本当にいろんな時間を共にしたと自信を持って言える。

何度も一緒に散歩して、おじいちゃんの杖をつきながらもサクサク歩く姿にびっくりしたし、自販機で炭酸を買って一緒に飲んだり、みんなで桜を見に行ったり、真夏に草むしりしたりトマトを育てたり、マックを買ってったら美味しいと食べてくれたり、病院に付き添った帰り2人きりでティファに行ってハンバーグを食べたり(今考えるとおじいちゃんにはお店のライスなど固かっただろうな、でも文句ひとつ言わず美味しいって言って食べてくれてた)、階段しかないうちにも来てくれたこともあった。

お正月は手作りのお煮しめを作ってくれて、それは味がとてもしみていて里芋は綺麗に皮むきしてあって昆布はちゃんと結んであった。みんなでジェンガをやったら、おじいちゃんその時既に100歳近かったのにめちゃくちゃ上手ですごい盛り上がったな。

100歳のお誕生日には海鮮寄せ鍋を作ってあげて、とても美味しいと喜んでたくさん食べてくれて嬉しかった。その後はコロナがきてしまいあまり集まれなくなってしまったけど、毎年お誕生日にはケーキとワイシャツをあげた。服はいっぱいあるからいいんだと言いながら、数日に一回のペースで、あげたシャツを着てくれた。亡くなる数ヶ月前まで、外出しない日でもワイシャツとチノパンを着てたおじいちゃん。ダンボールゴミを捨てるのにも、きっちりスズランテープでまとめる几帳面なおじいちゃん。

 

お父さんは、義理の父親であるおじいちゃんのお葬式後の食事会で込み上げるように泣いた。お父さんのそんな姿を見るのは初めてだった。それまでは気丈に振る舞っていたのに。それを見ていたお母さんも私たちも泣かずにはいられなくて、ちょっとー!と少し笑いながらたくさん泣いた。

 

戦争に行った時の話も、聞かせてくれたおじいちゃん。

お葬式で親戚の方が話してくれたのだけど、終戦後、外から大きな声で「帰りました!」と聞こえ外に出るとボロボロの戦闘服で敬礼をしたおじいちゃんが立っていて、今でもその姿が鮮明に思い出せると。

山形から職を求めて上京した時は、前日から並んで電車の座席を取ったと言っていた。

船乗りとして公務員になったけど、最初は間借り、結婚してからもしばらくは6畳一間のワンルームで苦労続きで。だからきっと、定年退職金で自分の家を手に入れた時の安心感と嬉しさはひとしおだったと思う。

 

祖父が買った時は既に中古でさらにそこから40年以上住んだからもうあちこちが古くて、場所も今の私たちには少し不便で、だからこのまま宙ぶらりんにするよりは誰か必要としている人に住んでもらおうと売ることになった。

実際、祖父が亡くなってから家は仏壇だけ置いてあり誰も住んでおらず、お線香をあげに誰かが訪れるだけの場所になっていたので、私もそれはとても良いことだと思って大賛成した。

そして、個人ではないけど買ってくれる人が現れて、この度家を売り渡し、それに伴い現在の家屋は解体することになった。

家財等の回収業者が来てくれるまで、何度か家に足を運んで手元に持っておきたい品を探索した。少しの食器や着物、絵などはもらうことにした。押し入れを整理していると全く使っていない厚手の毛布やタオルがたくさん出てきて切なくなった。良いものは、いつかじゃなくて今、自分のために使うべきだと思った。

 

回収業者が来て、家具等を全て持って行ってくれた後の、がらんとした家にも2回行った。

1回目はサクッと見て回って、これで良いんだもう仕方ないしこれは良いことなんだとあえて感傷的にならないよう時間を過ごしたのだが、結局やっぱり何かモヤモヤして最後にもう一度行った。(しつこい)

そしたら両親も一緒に行くことになり、せっかくなら解体前にお手製のお祓いをしようと母が思いついてくれ、叔父も突然だったのだが来られてみんなで(妹誘えずごめんね)お酒とお米と塩を家中にまいた。壁紙や、祖父が破れた障子に簡易的に貼っていた(そしてそれは結局最後までそのままだった)ラベルなど、細かくたくさん写真を撮った。

 

翌週、晴れた週末に見に行くと家はもうすっかり解体され、ほとんど真っ新な土地になっていた。重機ってすごいな…。

清々しさと、寂しさと、目の前の光景がまだ信じられない夢のような気持ちが入り混じった。

本当に無くなっちゃったんだなぁ。

その日はとても暑くてカラッと晴れていて、それがまた私を不思議な気持ちにさせた。こんなに現実なのに、夢みたいだ。

工事現場をこっそり散策して、わずかに残っていた玄関の壁のタイルのかけらを拾った。そんな不審行為をしていたら、裏の家の年配の男性に、ここを購入されたんですか、と声をかけられた。ここの家の人の孫なんです、と言うと、あぁそうですか、〇〇さんの、と言って、少し置いてからあっという間でしたねぇと少し寂しそうに微笑んでくれた。一度も話したことない方だったのに、その言葉と表情になぜか突然涙が出そうになったけど、ぐっとこらえて本当!あっという間!でもお騒がせしました!と明るく言った。

 

その晩、急に寂しくなってしまって少し泣いた。と同時に、目の前の事柄にちゃんと向き合って、やるべきことをできた、きちんと丁寧に滞りなく完結させることができた自分の家族を誇りに思った。いつかは終わる。変わらないものなんてない。何回も聞いてきたし思ってきたこんな言葉を心から実感した。この場所には、風がちゃんと吹き抜けていると感じた。晴天の5月の気候に涙が混じって、切ないのに清々しかった。

 

そして、悲しい、寂しい、切ないなどのネガティブな感情は決して抑える必要はないものだとも思った。

私はネガティブな感情が多分怖い。悲しさを受け入れることを許すと、自分がそれに浸かってしまって簡単に抜け出せなくなるんじゃないかと怖いのだ。加えて、それを誰かに知られて、気遣ってもらうのも申し訳なく感じる。だから自分の中でそれらが生じると早めに消化しようと努めるし、誰かがそういう感情に苛まれていると解決してあげたいと強く思ってしまう。

でも、本当はどんな感情でも受け入れていいんだよね。悲しいのに悲しくないと心を閉ざしたり、忘れようとしたり、無理やり切り替えようとするのって結構不自然だ。だったら、悲しい、寂しい、切ないとちゃんと思いたい。感情と行動がイコールである必要もない。自分の感情は私の自由だし、誰かが悲しいと思うのもその人の自由だ。

悲しい、切ないとしっかり思って、自分の心の動きをちゃんと見つめて、然るべき時が来たらまた歩き出せばいい。

だから、私は今もふいに寂しく切ない気持ちになる。そりゃそうだ、あんなに思い出の詰まったおじいちゃんおばあちゃんの家が無くなっちゃったんだもん!悲しくないわけがない。

 

あぁ、今の気持ちをちゃんと書いておけて良かった!どうか、あの場所に素敵な方が住んでくれますように。

そして、おじいちゃんおばあちゃんの家、今まで本当にありがとう!!!

映画THE FIRST SLAMDUNK見たよ 自分にかけられた呪いは己でブチ破る

2023初映画!というか映画自体ご無沙汰!

いやはや、自分で観に行こうと思った映画じゃないのにこんなに感銘を受けるとは…さすが名作。さすが井上神。

映画THE FIRST SLAMDUNK見たよ

いや、演出神か?

本作に関しては正直ファンと言えるほどの熱量ではない私(現に見に行ったのも強火ファンの夫に付いてっただけ)

ただね、オタクとして楽しんでいるアニメはいくつかあるので分かったよ。

オープニングの演出の素晴らしさ、やばい。

ニワカが見ても鳥肌モノでした。あそこで本映画の勝ちが確定したと言っても過言ではない。かっこよすぎか。漫画原作作品のオープニングとして満点の演出でしょ。しかも音楽良。かっこいいに全振り。10000点じゃ足りない。

こんなん自分の推し作品でやられたら気絶するわ。スラダンファンの方々めっちゃ羨ましいな!!!!!

 

自分にかけられた呪いは己でブチ破る

詳しい内容に関してはニワカが話すには荷が重いため、本ブログでは私が鑑賞後考えたことをつらつらと。

 

何となくここ数年、自分に呪いをかけてしまうことについてよく考えており、本作も原作を読んだ当時は単純に超面白いスポーツ漫画〜!と楽しんでいたのですが、今改めて見るとさ、これ、特にこの試合、めっちゃ呪い解く系のストーリーじゃんね!

まぁ本作に関しては解くというよりブチ破るって感じだけども…!

 

それにしても本当呪いって多種多様だな大切な人にかけられてしまった呪い、悪意のある他人発端のものが自分の中で強固になってしまった呪い、不慮の事態から芽生えた呪い、そして能力が高すぎる故に抱えることになってしまった呪いなどなど特に若い時って自分で呪いと気付けてないパターンも多いからさ、これめっちゃキツいよなウゥと見ながら胸が痛くなることしばしば。。

 

呪いは自分だけで解く必要はない

元は他人からかけられた呪いでも、長く保てば保つほど自分自身で強固にかけてしまうのがこの類の呪いの厄介なところで。

もう誰も思ってないよ、気にしてないよってことでも、自分が忘れられなくて引きずって掘り返してさらに闇へってこと、めっちゃあるよね

 

だからこそ、思いもよらないタイミングで思いもよらない角度から呪いが解けることもあるし、他人や世界との関わりの中で解けていく呪いも多い。

特に、簡単に呪いになり得る言葉をも逆手にとって、たくましく進んでいくタイプのキャラクターの存在はやっぱり必要不可欠だと感じました。

こんな人、フィクションかもしれないけど、これは確実に必要なフィクションであり希望。

こういう人物が出てくるという点こそ、フィクション作品を楽しむ意義なのかも、と思ったりもしました。

 

呪いも引き受けて生きていく

とは言え、現実には一つの出来事で全てがガラッと塗り替えられるわけじゃないのも事実。光明が差しても、辛い過去が無くなるわけでもなければ自分を全て変えられるわけでもなく。

本作は監督が現実っぽさ、普通の男子高校生っぽさを意識して作ったとのこともあり、最後、歳も経験も重ねたはずの彼が未だに緊張に弱い様子を入れてくれたことは、観ている側に寄り添う作品の姿勢を感じました。

 

呪いを無かったことにするのではなく、引き受けて、乗り越えて、また生きていく。

 

 

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うおー!!!って思う箇所がありすぎてあえてここには書きませんでしたが試合シーンや音の使い方、静と動のメリハリなどなど、まずエンターテイメント作品としてクオリティめちゃ高かったので、ファンの方はもちろん私のようなニワカや初見さんでも超絶楽しめる作品だと思います。

私も普通にもう一回見たいです。約2時間まじで一瞬だった!

 

映画『THE FIRST SLAM DUNK』

 

それではまた〜

YUKIちゃんの20周年コンサート最終日行ってきたよ

YUKIちゃんの20周年コンサート、『sounds of twenty』行ってきた!

このコンサートは初日のホールにも行っていて、その時ももちろん最高で大興奮して、そこから半年ほどが経った今日はツアー最終日だったんだけど、もう本当…始終感無量で泣き笑い状態になってしまい、YUKIちゃんはめちゃ歌上手でピアノもギターも上手で衣装もとってもかわいくて、楽器隊豪華すぎて最高で、初めてコンサートで聞けた曲もあったり盛り盛りセトリで、大満足の2時間半だった!!!

幕間の過去PVをミックスした映像を見ながらYUKIちゃんの20年間を思っていたら、気付けば自分の20年も振り返っていて、初めてYUKIちゃんに出逢ったのはTSUTAYAでパケ買いした中古100円の66dbだったなぁとか、とにかくPVのお洋服がかわいくて憧れで似たような安物をあちこち見て回って探してたから学生時代は服装迷走してたなぁとか、YUKIちゃんになりたくて軽率にまんまるボブにしたなぁとか、CDショップ回ってシングルのフライヤー集めて部屋に飾ったなぁとか、妹に強引にハミングバードハモってもらってカラオケで歌ったなぁとか、大学の軽音部でどうしても歌いたくて楽器隊に無理言ってそれなのに録音されたの聞いたら思ったのの数倍は下手くそボーカルで落ち込んだりとか、付き合った人とのテーマソングを勝手に決めて秋の夜に聞いて切なくなったりとか、友人と行ったライブほぼ最後列でYUKIちゃん豆粒みたいなのにそこに存在してくれてるって事実に嬉しくて泣いたりとか、ラジオでお便り読まれて驚いて嬉しすぎてスマホ2台使ってボイスメモで録音して何回も聞いたりとか…思い出がありすぎて…。

 

私は本当に20年、まぁ正確に言うとソロデビューから一年後に知ったから19年間ではあるけど、YUKIちゃんがずっと好きで、憧れだった。

YUKIちゃんは、20年間、良い時も悪い時も一緒にいてくれてありがとうって言ってくれたけど、まったくもってこちらのセリフである。

私の日常にYUKIちゃんの音楽はずっとあって、思春期の初めに出逢ったYUKIというアーティストの存在はそのまま私の根っことなって、今も変わらないままだ。

あの時、ジュディマリの名前しか知らなかった13歳の私が背伸びして買った中古のCD。あれがなくても出逢えていたかもしれないし、でもやっぱり、あの時の私、ありがとう!!!ナイス!!!!

 

YUKIちゃんは、20年間、私は総じて健康でした!!!とも言っていて、その時は突然の朗らかな宣言に泣き笑いしたけど、それって本当に素晴らしいことだよね。

努力による自己管理と、そして運と、周りの支えと。

幸運なことに、私も今日まで総じて健康だった。なんて有難いことなんだろう。私の場合、不摂生も多いから運が良いところが大きいし、先のことは分からないし、でも、まずは今に心から感謝したい気持ちになった。私の身体と心、いつもありがとうね。もう若くないし、これからはちゃんと労わるからね。今日コンサートに連れてきてくれて、本当にありがとう。

スタンド、ステージ真横の席。ひとり参加なのによりによってか〜と思ってたけど、WAGONでYUKIちゃんが横の花道めいっぱい端まで来てくれて、あんな近くでお顔見れたのは初めてかもしれなくて嬉しかったな。マスクしてたけど、マスクの下の超絶笑顔YUKIちゃんに伝わったかな。伝わってればいいな。

 

これからもそれぞれ日々を一生懸命生きて、また近いうちに会えますように。スポットライトの下での待ち合わせ、楽しみにしてる!!!

それにしてもFC限定お土産が、まさか直筆サインとか思わんやろ…何枚書いてくれたのよ…うわーん本当にYUKIちゃんのファンでいれて幸せだ…泣ける…!

 

改めて、YUKIちゃんソロ20周年本当におめでとう!そしてありがとう!!!大好き!♡

優しさについて考えた話

「優しさ」って何だろうか?

最近ずっと考えているこの件。

私は多分優しい。人からそう言われることも多いし、自分自身でそう思うこともしばしばある。
でも、私の優しさはいわゆる「お節介」「心配性」と言い換えることもでき、時に支配的ニュアンスを含んでいるなぁと思うこともある。また、「良く思われたい」というパターンの時も多々あり、それに気付いたときは我ながらげんなりする。

 

「お節介」は真の優しさでなはい?

優しさゆえ、相手を放っておいたり、明らかな正解である助言をしない人もいる。

若い頃はそれが全く分からず深入りしない甘えではとすら思っていたけど、最近はその難しさがよく分かる。
相手を信じ、尊重し、任せること。その不確かさと怖さ。明らかな助けを与えるより何倍も疲れるし想像力と忍耐力が必要だ。
でも、可能であれば、その人が自分自身でその場所に辿り着くに越したことはないもんね。だから一見遠回りで冷たいようでも、干渉しすぎないで見守る。

やりすぎたお節介は時に相手の自信を奪ったり、成長の機会を失わせることもあるから。それにどんな関係性だってやはり他人は他人、相手が本当に望むものなんて分からない。
果たして相手はその善意を望んでいたのか?自己満足になってない?相手が気を遣って感謝してくれてるんだったらどうしよう?

 

正解なんてない、だからこそ根っこの部分の感情を信じたい

でもね、分かってはいるけど、やっぱりこのタイプの優しさを差し出すの、やめられないんだよねぇ!!!!

お節介な優しさを差し出す、というか押し付ける度に押し寄せる自問と後悔。感謝されたいというささやかだけどクソデカな期待。そして相手の反応によってジェットコースター並に上下する感情。
だったらやんなきゃいいじゃんか!と何度思っただろうか。でも、困ってる人や助けを求めている人がいたらさ、手出さないわけにいかないんだよ。

最終的にどんだけいろんな邪念にまみれても、一番最初のここの部分だけは、いつも純粋な気持ちなの。それは本当。

 

でも、じゃあそれだけで十分じゃない?

 

本当の「優しさ」なんて正解はない。それは相手によって違うし、場面によっても全然違う。お節介が負担になるように、尊重したつもりが孤立を感じさせているかもしれない。

だからこそ、最初の純粋な気持ちが大事なんだと思う。「力になりたい、元気になってほしい、大丈夫?」って、そうだよね、その愛情こそが「優しさ」だよね。

未熟な私たちは優しさが膨張して暴走してしまうこともあるし(これは壮大な体験談があってだな…また改めて書きたい)、深入りの面倒さを「任せる」という言葉で正当化することだってある。うまくできなくてごめんっていつも思ってるし、相手のことが一番だと思ってても自分のことも大切で。

 

結局私は、今後もお節介をし続けてしまうと思う。でも、お節介に助けられる人もいるだろうし、悪いことだけじゃないよね、きっと。

人間関係が潔癖になってきている今、この記事を読んでそんなことを思ったのでした。

 

 

久しぶり執筆のおとも。良いアルバム!

 

それではまた~

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2022.01.25

怒涛の年末を終え、ようやく穏やかな日々が戻ってきた。

冬のこの時間、傾き始めた夕日が部屋の中に入ってくるのがとても好き。少しずつだけど日がのびてきて嬉しいな。

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昨年は本当に、これでもかというぐらい命や終え方というものに対峙した一年だった。

最期に孫に会えてとても嬉しそうにしていた彼のおじいちゃんの表情と葬儀で見たお義父さんの涙は忘れられないし、共同墓地や樹木葬など新しい形態のお墓を実際に目で見たのもとても良い経験だった。

本当、どのお墓も素敵で最高だった。夫婦やきょうだい等少人数で入れるお墓には様々なユニークなメッセージが刻まれていて、そうか、別にお墓って自由でいいんだよねと思った。

(もちろん亡くなった段階で精神は肉体を離れて自由にはなっているんだけど、)それでも現世でどう眠るか選択の余地があること、伝統的な(?)仏式のお墓に縛られる必要もなければそれを選択しないことに後ろめたさを感じる必要も一切ないこと。何か本当、「自由だなー!!!」という感じでした。もっといろんなお墓見てみたいな。霊園巡りが趣味になりそう…。

おじいちゃんの四十九日、お坊さんがしてくれたお話しもとても良かった。

「大切な存在がいなくなってつらい、その想いはどうしようもなく、仕方のないもの。でも、その想いそのものが尊いものなのです。その想いを、ずっと大切にしてください。」

そうか、そうだよね、とストンと落ちた。

飼っているワンちゃんの話もしてくれて、良いお坊さんだったなぁ。

 

四十九日の後は、超久しぶりに実家に(自分だけ)泊まって楽しかった。久々すぎる実家のお風呂が思ってたより深くてすべりそうになったり、お父さんがまたしても飲みすぎたり、翌日用のヒートテックレギンス持っていくの忘れてお母さんのダサい股引き借りたり、うーん、やっぱり何はなくともこれからもたまには実家に泊まろうと思った!

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泊まった翌日は、お父さんお母さんと動物園に行った。お母さんは助手席にいながら話してばっかで、道案内のひとつもしてくれなくて参った。笑

あいにく園内の一部が工事中で見れないところがあったり冬だから展示されていない動物がいたりしたけど、のんびり過ごしてる動物たちが見れて面白かった。絶滅危惧種の鳥が我々の方に寄ってきてくれてたくさん鳴いてくれたのもかわいかったし、カンガルーやミーアキャットがひなたぼっこしながらだらけまくってるのも笑えた。かなり空いている園内をガンガン歩いて、お父さんもお母さんも楽しそうで良かった。朝ご飯を遅くに食べたからお昼を食べそびれて、16時頃にタリーズでホットドッグと飲み物を、お父さんはビアードパパのシュークリームを食べて帰った。

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2022年は「幸福な年」になると、3年の星占いに書かれていた。

今までも幸運だったけど、今年もどうかそうでありますように!好きな人たちが、みんな健やかに穏やかに過ごせますように。

2021.12.08

もう師走かい!!!

 

秋をすっ飛ばして気付いたら冬。空はどんよりだけど、窓を閉め切って犬とごろごろして、お昼にはIN THE SOOPを見ながらカップラーメンを食べ、キースジャレットを流しながらこれを書いている。そして今日は散歩以外何の外出の予定もない!あーーーーーーーしあわせーーーー!!!!

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朝、今日は何をしようと思った時に、自然と一番最初に思い浮かんでくる選択肢が今はもう必要ない、という事実に気付く一瞬。寂しさできゅうっとなる。

私はあくまで孫という立場だったけど、それでもあの10年以上にわたる日々は私の日常の多大なウエイトを占めていた。

週に約1度は顔を見せに行くこと。同じ市内に住んでいるとはいえ、その間に大学を卒業し、正社員として働き(そして辞めたけど)、結婚をしたりしながらも、頭の片隅にその時間のことを置いて日常を組み立てること。

もちろん誰に強要されたわけでもないし、むしろ少し無理をして行ったりすると「無理しないでいいのに~」と言われたし、実際他の都合との兼ね合いでできない日もあった。それでも続けてきたのは、祖父母に喜んでほしいということもあったけれど、やはり母が心配だったからだった。

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自分の両親の介護をすること。命と向き合い続けるのは例えそれが他人だとしても厳しいことなのに、親だったらなおさらだ。怖いこと、不安なこと、寂しいこと、きっと私が想像出来うる何倍も、いろんな想いがあったよね。

母は真っ直ぐに祖父母のことを見つめ続けていたけど、私(や多分父も、妹は半々ぐらいかな?)はどちらかというと母のことを見つめていたと思う。母の不安を冬の寒い車内で何十分も聞いたこともあったし(最初は聞くということの大事さが分からなくて、マジレスして喧嘩っぽくなっちゃうことも何度もあった)、祖父母に会いに行ったはずが結局ほぼ母と話しただけで帰ったこともあったし、写真をたくさん撮っておいたり、母自身の食事や水分摂取を促したり、母が怪我をした時はひとりで祖父母の様子を見に行って大丈夫そうだったと報告したり。とにかく、自分にできる限りで母の負担を軽くするというのが私の目的だった(もちろん直接的な介護に関われればもっと良かったかもしれないけど、それは怖くてできなかった…というのもある…)。

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だからおばあちゃんを見送った時、そしておじいちゃんを見送る時、寂しさや悲しさより正直安堵感の方が大きかった。誰も欠けることなく無事にふたりを見送れたこと、本当に本当に良かったと思った。だって、介護することでお母さんが心身を壊すなんてことになったら、それこそおじいちゃんおばあちゃんの望むことじゃないと思うし。ギリギリのラインで、全員が全員できることをやって、結果無事に見送ることができたと思ったら、ホッとするしかなかった。

(その後、そのことを母と妹と話し、めちゃくちゃ泣いた。話しながら、この10年以上、最前線にいるお母さんの頑張りを見ながら支えながら、家族みんなで一丸となって走り続けてきたことを実感したら何か青春みたいで泣けた。。本当にみんな、よく頑張ったよね。。)

 

そしてそれから、ようやくおじいちゃんがいなくなってしまったことの寂しさが湧き上がってきた。

落ち着いてて優しくてかっこよくて、手先が器用で料理もできるおじいちゃん。他の人から見れば、100歳超えにして身の回りのことは基本自分でできてお正月には飾り包丁を入れたこんにゃく入りのお煮しめを作れて政治の話から時事ニュースのことまでしっかり意見交換し合えるおじいちゃんは奇跡のような存在だったかもしれないけど、家族から見るとその姿は当たり前で、だから亡くなってしまってから初めて、あぁそうだよね、そういう歳だったよねと思った。

おばあちゃんの介護が必要になってから、老々介護と言うにはあまりに老すぎる年齢にも関わらず、おじいちゃんは元気でいてくれるだけでなくずっと一番の介護者でいてくれて、もう私からすると見守るべき対象というよりは戦友のような感覚だったんだよね。だから純粋に寂しくて、心に穴が開いたような感覚ってこういうことなんだなぁと感じている。

おばあちゃんの介護が始まって頻繁に家に顔を出すようになってから、おじいちゃんとはいろいろな話をした。上に書いたような政治やニュースの話もそうだし、おじいちゃんの若い頃の話や、おばあちゃんとの暮らしの話、そして戦争の話も。

20代の頃に戦争に行き、戦地でマラリアにかかって生死の境をさまよったこと。終戦の知らせはハルマヒラ(インドネシア)で聞き、米軍の船で帰国したこと。故郷に帰った後仕事を求め上京し(その頃の列車は全席早い者勝ちなので前日から並んで席を取ったらしい…)、最初は家も借りられず間借りをして暮らし、知人の紹介でおばあちゃんと出会い結婚しやっと6畳のワンルームを借りられたことなど…本当、人生波乱万丈すぎて圧倒される。102年生きるってすっごいな。何かもう、すごいしかない。。

葬儀に来てくれたおじいちゃんの親戚が、おじいちゃんの思い出で一番印象に残っているのは、戦争が終わり玄関を開けたらボロボロの軍服を着たおじいちゃんが立っていて「ただいま帰りました」と敬礼をした姿だったと教えてくれて、鳥肌が立った。映画じゃんね。そしてそれを映画じゃんと思える現代、すっごい幸せかよ。

葬儀場の待合室におじいちゃんの99~102歳の各歳を祝った写真を掲示していたんだけど、その親戚の方はそれを見て、幸せだねぇよかったねぇと泣かれていた。その姿に、胸がいっぱいになった。

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おじいちゃんは、やるべきことをやり、日常をコツコツ積み上げていくことが大事だと言っていた。おばあちゃんとは喧嘩したことがないとも言っていた。一緒に暮らしてるんだから、喧嘩なんてしたってつまらんだろと。そうですね、勉強になります…。

あと100歳になった時、役所から記念品をもらえるのだけれど、その時ぽろりと「お母さん(おばあちゃんのこと)のおかげだな」と呟いていたのも衝撃的すぎた。そんなこと、誰に聞かせるでもなく素で言える人っているかね…。あーもう本当人間ができていてすごい。何なんだ。立派か!

 

こうして振り返ってみると、おじいちゃんおばあちゃんと過ごした日々、すごく楽しかったな。写真を見返していて、おじいちゃんおばあちゃんだけでなく家族みんなが心から笑っている写真ばかりで、こんなかけがえのない思い出ってないよね。

介護ができる人ばかりじゃない、むしろできない状況の人が一般的で介護できること自体恵まれているのかもしれないけど、でも介護している時間っていうのは絶対に無駄な時間じゃなくてかけがえのない時間だってことを強く実感した。これは介護しないことを悪とする意図はないし、じゃあ私も親の介護が必要になった時できるのか、と問われれば正直分からないとしか言えないけど…でも確実に言えるのは、お母さんをはじめ、私たちの過ごしたこの10数年は、かけがえのない大切な時間だったってこと。

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お母さん、今まで本当にお疲れさま。これからは少しゆったりして、たくさん遊びに行ったりもしようね。楽しいことたくさんしよう!

おじいちゃん、こちらのことは心配しないでおばあちゃんと仲良く穏やかに暮らしてね。美味しいものたくさん食べてね。またねー!!!

2021.09.06

スタバでカプチーノとかぼちゃスコーンを購入。温かい飲み物が嬉しい。

この間まで暑くて暑くて仕方なかったのに、あっという間に秋が鎮座している。おかげで犬の散歩時間は延び、音楽は聴きやすくなり、食卓もどんどん秋めいてきた。今年もまた着なかった夏服を横目に、こちらもあっさりと夏を手放す。こんな世の中に夏は似合わないから仕方ないよね。また来年ね、今度こそ楽しもうね。

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いやぁ、しかし私も本当によく頑張ってるよなぁ。人生いろんなことありすぎ。大変すぎ。

でもどんな時だって、私の感情や思いは全て私のものであり私の自由なんだよね。

前も少し書いたけど、例えば相手が悲しんでるからってこちらが励ます役割をしなきゃいけないわけじゃない。自分も悲しければ一緒に悲しんでどん底に落ちたっていいし、もちろん励ましたければ励ましたっていい。そもそも落ち込むのは悪ではないしね。そういう時だってある、というだけ。

こうならなきゃ、こうしなきゃって思い込みからもっと解き放たれていきたい。どう感じてどう考えてどう過ごしてたって、どうせいつか雨は止むし夜は明ける。(つまり時間は偉大。時に残酷だが。)

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というわけで、正直に言うと全く悲しくないわけではない(すごい面倒くさい表現)

でもこれが本当なんだもん悲しいは悲しいんだけど、基本的には他の感情の方が勝っている。でもたまに悲しいが現れて、あら?やっぱり悲しいかも?みたくなるのである。。

その一方で、だいぶ明確に今後の見通しができ(てしまっ)た安心感というか覚悟のようなものもムクムクと現れてきている。

どうせそうならこういうことしたい!こういうこともできるかも!むしろ時間あるんだからこういうことも夢で終わらせないでより現実に近い目標にしたい!などと、前を向こうとしている自分もいる。

まぁ完全に吹っ切れた!と自分含め誰かに宣言する必要は全くないんだし、いろんな感情を行き来するのは当たり前だよね。


欲張りではあるけど、このことも全て養分に変えて進んでいきたい、というのは本当。何ならこの世に試されてるって思っている。負けねー!!!笑

でもこれだけは言いたい!神か世界か知らんけど、こんな素晴らしい我々の遺伝子を残さないなんて、後悔したって知らないからな!!!社会の損失だからな!!!バーカバーカ!!!!!!!



f:id:mondai-girl:20210906141437j:plainもう少ししたら、このことも詳しく書いていきたい。一番つらかった日、同じ境遇の人が綴る想いに心が軽くなったから。このブログ自体ずっと自分のために書いているようなものだけど、でも、いつか誰かが目にしてくれて、もしその人が何かを思ってくれたり心が軽くなってくれたりしたらこの経験も無駄じゃなかったなって思うから。


この世は不条理で最低最悪なこともあるけど、でもこうして自由に表現できる時代に生まれてよかったな。それだけは言える。

2021.08.23

おじいちゃんが入院した。

数週間前、誰もいない深夜に転んで腰を打ってしまったようで、それから痛みで立ち上がることはおろか座ることすらできなくなってしまって、何とか在宅で様子を見ていたけど痛みは引かず、そして看ている側も先が見えない状態にだんだんと限界が近付いてきてしまい、痛みの原因探索とできる限りの改善、そしてこちらの体制を整えるためにも、一旦短期の入院をしてもらうことになった。

 

そんななか、ちょうどこの間おばあちゃんの一周忌と新盆があったから、おばあちゃんは会場におじいちゃんがいなくてびっくりしただろうな。まぁおばあちゃんのことだからもう知ってるか。

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お盆だったからか元々こういったことを考えるのが好きだからか、やはり時間ができるとどうしても死のことや死後の世界のことを考えてしまう。

以前ヒューマニエンスで見たのだが、死は点じゃなく段階的なものだから、「いつ亡くなったか」ということはその社会のルールで仮に定められているだけで、正確には定義できないものだという。

そして心拍と呼吸が止まった後で、脳が死ぬ直前に、脳の神経細胞の反応が逆に上昇するということ(まるで線香花火の最後のような、と織田裕二さんが言っていた。良い表現)。心停止後に蘇生した患者の臨死体験で一番多かった感覚が「幸福感があった」ことであること。これは脳が死ぬ直前にエンドルフィンが放出されることが理由らしいのだが、いやーこれって本当、救いだよね。安らかに眠る、のが願いじゃなく科学的に証明されている。もちろん実際は体験しないと分からないことではあるのだけど、それでも、すごく有難い研究だなと思う。

f:id:mondai-girl:20210823141334j:plain私にとっての理想の死後の世界を妄想する。

家族や友人たちや動物たちが皆幸せそうにそれぞれの暮らしを営んでいて、いつでも会いに行くことができて、もう離れることを怖がる必要もない世界。美味しいものをいくら食べても苦しい満腹にはならなくて、健康を害す心配もしなくて良くて、好きな時に好きな物を好きなだけ食べられて。世界のどこへでも一瞬で行けて、そのどこにも苦しんでる人や動植物はなくどこもかしこも活き活きしていて。からりとしたやわらかな風が吹いていて、秋と春の良いところを集めたような気候で。夜は天の川のような星空が果てしなく広がって、月の光が心地よく辺りを照らしていて、穏やかな静けさが立ち込めていて。色鮮やかだけどうるさくなくて、全てがしっくりと調和がとれていて、でも同じものは一つとしてなく全てが個性的であたたかみがあって。

と書いていると、死後のことが全然怖くなくなると同時に、なんだ、結局自分にとっての天国はこの世で体験した幸せな瞬間の集合体に他ならないんだなぁと思う。私の想像上の、だから当たり前なんだけどね。もちろん、もしかしたら天国は私の想像なんて及ばないぐらいのとてつもなく素晴らしい場所かもしれないけど、でも幸せは人それぞれ違うから、その人にとっての理想の地というパターンも十分あり得ると思っていて。

となると可能な限りこの世で幸せな瞬間を見付けることが、後の世界の充実につながるのかもなぁと思ったりして、頑張って生きよう~となっている。

…しかし何かこうしてザクザク文章化するとだいぶスピっぽいな…違うの…ただ時間を浪費しながら空想してるだけなの…要は時間に余裕があるの…こんなことしてないで働かなきゃ…。

 

そういえば先日保護猫のお世話ボランティアに行ったんだ!初めての場所、緊張したけど猫ちゃんたちが本当~~~にかわいくて癒された…。でもやはり過酷な環境にいた子も多く、肢体麻痺の子、片目が化膿してしまっている子、お肌がガビガビな子など様々で、ふと苦しくなる瞬間も何度もあった。まだ二回ほどしかお手伝いに行っていないので語れるようなこともないんだけど、でもやはり見てるだけじゃなくて中に入ると解ることもある、気がする。

全てを体験することはできないけれど、でも少なくとも語りたい分野に関しては頭でっかちにならないようにしたい。歳を重ねて、フットワークが重くなってきたり知らないところに入るのがより怖かったり、燃えるようなエネルギーに出会うことが少なくなってもうこのまま何も知らなくていいしたくないと思うこともしばしばだけど。できる範囲で、できる深度で。寄付なら単発だって少額だって十分意味があるし、0/100で考えるんじゃなくゆるやかな参加を選ぶ自分も赦せるようになろう。

どうか悲しい思いや苦しい思いをする動物たちがいなくなりますように。心から願う。 f:id:mondai-girl:20210823141534j:plain


まんべんなく流行や最新物を聴く、というより気に入ったらもう同じものを何十回でも何百回でも聴く、というタイプなのでずっと音楽のサブスクに手を出さずにいたのだが、あまりにCDショップが消滅していくためお試しでついに始めてみたら、なんと快適且つ世界が広がること。いやはや、もっと早く始めるべきだったね…広告なしってこんな快適なのね…。

ノラジョーンズのライブ盤が素晴らしくて心身に沁み渡る。どんより曇り空だけど、ノラの声は曇り空がよく似合う。いつかライブに行きたいなぁ。

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今日も犬はすやすや、鳥はごきげんにおしゃべり。当たり前ではない、静かで穏やかな午後。

2021.06.29

ベリーダンス、全然上達せずつらい…。

相変わらず努力の量に比べて上ばかり見すぎているため、よりフラストレーションが溜まる仕組みになってしまっているのは否めないのだが、そもそも根本的なところから向いていないのでは?と思わざるを得ない日々…。とにかく軸がブレブレなこと、余計な動作が多いこと、力が入りすぎなこと、三半規管が激弱なこと、重心が上になりがちなこと、関節が硬いことなどなど、挙げればキリがないほどできてないことがありすぎて…。身内しか見ていない発表会だしそのために奮発して高級衣装まで調達したのに、やっぱり出たくない…となったりしている。ガチすぎ。なんなんだ。笑

しかも先ほどまで犬がひたすらヒンヒン鳴くターンに入ってしまっており、ノイローゼになるかと思った…。本当、大きい音に耐性が無さすぎて弱小だな…。

今は何とか寝てくれて、鳥もぐっすり、窓も閉めているから静かで幸せ。ノラジョーンズが沁みる…。

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自分のちゃんとしたがってしまうところや、真面目でいろいろと見過ごせないところ、というか気付きすぎてしまうところがずっとあまり好きになれなくて。その背景にはそれゆえ生きづらいと思うことがあったりとか同じタイプの人を目にした時にもう少し肩の力抜きなよ…と疲れてしまうことがあって、だからそこを変えたくていろいろと試行錯誤していたのだけど、先日友人と話していてハッとなった。

何か頑張っちゃう人ってさ、仕事も増えちゃうし暑苦しく見えるし空回ってる時もあるし、自分の理想ではないんだよね。損だなぁって。

もっと軽やかになりたいし飄々としたかった。仕事も余計に引き受けず、無駄に深入りしないような人。自分から見てそうであることはもちろん、他人からもそういう人に見られたかった。

でも元々の性格がちゃんとしちゃってるんだし、で仕事もちょっと多いと思っても頑張ったらこなせる範囲までの量であるなら引き受けることで組織もうまく回るわけで、周りもそんな私のこと理解してくれて好きな人には好いてもらえていて…あれ、あと自分がそんな自分を認めればもう何も問題ないじゃんね???

軽やかになるために努めていたつもりが、結果頑なに自分で自分をこんがらがらせていたという衝撃…なんという…。

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全てが自由なんだよね。何にも囚われる必要はないし、一貫性を持つ必要もない。頑張るのが嫌になったらあっさりやめたっていいし、カテゴライズできなくていい。損だって引き受けてやるし、でもいつもそうなわけじゃない、全ては自由。

前から話してきたことのようにも思うし、当たり前のことなんだけど、でも今回は特に腑に落ちた。やっぱり誰かと話して、言語化することで解ることってあるよなぁ。友人は大切。

 

f:id:mondai-girl:20210629173856j:plainあと最近はOVER THE SUNというラジオ配信を聞いている。おばさんあるある女性同士のおしゃべりあるある満載でニヤニヤしながら聞いているのだけど、その中で、どんな風に生きたってみんな○○年後にはおばさんになるんだからっていうような趣旨の話があって。

やー本当、そうよね!仕事頑張ったって結婚してたって子どもいたってぐうたら過ごしてたって、10年後、まぁ少なくとも15年後には確実に、同世代の全員がおばさんになるのだ。

これがいつかは死ぬ、のような話になると突然つまらないまとめの雰囲気を纏ってくるんだけど、行く先がおばさんになっただけで不思議。この明るいあきらめ感たるや。


30代、状況はそれぞれいろいろだし共感ツール(参照:「おばあちゃんになっても遊ぼうね!」という言葉を考える)が使えないことにやきもきすることもあるかもしれないけど、おばさんになるその日まで、自分の芝に花を植えて(竹内まりあ「幸せのものさし」より)がんばるぞ…!

 

今日は既に味付けしてある魚を焼いて、ズッキーニをミルフィーユ焼きにして、冷しゃぶサラダをこしらえる!お散歩の時間まで天気持ってくれますように。

2021.05.13

今日も今日とて夫氏は遅い。というかもうずっと遅い。あ〜〜〜つまんないなさみしいな〜〜〜!

どんなに好きでもひとりの時間は絶対ほしい人間だけど、やっぱりごはんはなるべく一緒に食べたいんだよな。ひとりだとすぐ食べ終わっちゃうし、あまりたくさん食べられない。

私が新しい仕事を始めて、特に今月に入ってから休日出勤が続きその間彼は家のことをしてくれてそれはそれは助かったし嬉しかったのだけど、でもやっぱり一緒にいる時間が少ないなぁと感じる。別に一緒にいても何するわけでもないし、むしろ最近はおうち時間メインなのでそれぞれ別のことをして過ごすことが多いのだけど。

でもどうでもいいテレビを2人でぼーっと見たり、お菓子をどんどん開けて片っ端から食べてそれをお昼代わりにしたり、2人でいる時間が貴重じゃないからこそできることがあって、それってなんだかんだ楽しいんだよね。(まぁ、最中は時間を無駄にしてしまった…と思うけどもしばしばなのだが…)

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文章に起こすまでもない、なんでもない時間。多分記憶にもあんまり残らない、何もしてない日。そういうことの積み重ねが、思い出の輪郭を作るのかなぁと思う。なんだか幸せだったなぁとか、何か具体的には思い出せないけど楽しかったなぁとか。

 

というか来週から天気予報ずっと雨なんだけどなんだ?もう梅雨なの?早くない?まだまだ新緑楽しみたいんだけど?

冬と雨、冬はクリスマスなど冬行事に加え、キャンプにも良い季節だと知り去年ぐらいからだいぶ好きになってきたのだけど、雨だけはどうしても好きになれない…。雨といっても土砂降りやゲリラ豪雨は結構好きなのだけど、あの一日中しとしと降っている感じの雨…あれの日は、どうやっても気分を高く保てないのである…。まず眠いし、湿気で空気がじとーっとするし、髪の毛もボサボサになるし、好きな洗濯もできないし、なにより暗い。小説やエッセイ、音楽や映画などでどうにか雨の良さを知ろうとしても、可愛い傘やレインブーツを使ってみても、生の雨のずーんとした存在感を払拭するのは至難の業である。

f:id:mondai-girl:20210513231924j:plain雨の何が嫌かって、あの空の色を見ていると晴れの日なんてもう来ないんじゃないかって思わせられることだ。厚く重なる灰色の雲からは、どうしてもあの突き抜けるような青空を思い出せない。明るい曲を聴いても虚しく感じるし、とにかく暗く寂しく心細い気持ちになる。

まぁでもそれも、雨に逆らおうとしているからなのかな。雨の日でも晴れの日と同じように動きたい、考えたい、楽しくいたい、という気持ちが強すぎて逆にそれに苦しめられてるだけな気もするな。もう雨の日は仕方ないと割り切って、暗さを受け入れれば楽になれる気がする…けど、でも雨の日が続いたりするからね…てかこれから確実に続くからね…その間ずっと廃人でいるわけにはいかないし…あぁ、いつか雨と仲良くできる日は来るのだろうか…。

 

f:id:mondai-girl:20210513232008j:plain最近はSwitchのフィットボクシングを買って休みの日に40分ぐらいやることにしている(リングフィットは飽きた…)。が、めちゃくちゃ腕が痛い。筋肉痛と言うより、筋を痛めたようなガッツリとした痛みである…。こんな痛くてやり方合ってるのかな…?それ以外は録画したシャドーハウスとオッドタクシー、生きるとか死ぬとか父親とかやBSの番組を見たり、積読になっていたエッセイたちを読んだり、気に入りそうなラジオ番組を片っ端から聞いてみたりとこんなしてて大丈夫?働いた方が良いのでは?の日々。

あとなるべくながらをやめて一つのことに集中して取り組もうと努めている…。以前はテレビで録画流しながらパソコン開きながらTwitter見たりしてたんだけど、結局何一つ満足にできずこれ意味ないな…と思ってたところにYUKIちゃんがラジオで、ながらはなるべくしない!的なことを言っていて確かに!となったのであった。しかしこれが意外に難しく、特に家ではどうしても、主にスマホながらになってしまう。スマホ依存だな…スマホなるべく触りたくないってずっと思ってはいるのにな…やれやれ…。

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