夕焼けとさくらんぼと味噌ラーメンと

君はどこにでも行ける、けど本当に君はそこに行きたいの?

またまたご無沙汰しております、もんだいちゃんです。

今朝偶然ツイッターで下記の記事を目にし、思うことがあったので久しぶりにブログを書きます。

toyokeizai.net

この記事を読んでまず思ったのが、「社会が女性に過剰に期待している部分もあるのかもしれないけど、それに加え(女性に限らず)自分が自分自身に過剰期待することで、より自分を苦しめている人がいるんじゃないのかなぁ」ということでした。そして、私も例に漏れずその類の人です。

 

私たちには「あきらめないことが良い結果を生み出す」という価値観が根付いていると思います。それは、マンガでも映画でも小説でも、感動的なストーリーを生み出す手法として効果的なものですが、幼い時にそれらに触れることで、(無意識にも)その価値観は私たちの中に残り続けます。

それゆえ、私たちはどんなにつらくてもなかなか辞めることができません。それは、「あきらめる」ことが苦手だから、さらに言えばあきらめた後に好転する物語にほとんど出会ってこなかったからです。肩を痛めて野球をあきらめざるを得なかった彼は、切なそうに笑いながら主人公に「俺の分もよろしくな」とつぶやいてチームを去る。こんな場面ばかり見てきた私たちがどうして「あきらめる」ことから希望を見出すことができるでしょうか。

だから、心の奥底に小さな希望を見い出しては

 

「つらいことを我慢してあきらめずに立ち向かっていれば、好転する日がやってくるはずだ」


そこに日本人の誇るモッタイナイ精神が拍車をかけます。


「今あきらめたら今までの頑張りは無駄じゃないか。もったいない」

 

さらに悪いことに、特に高学歴の人や意識が高い人は、SNSで同級生や著名な方の輝かしい実績や煽り正論を目にすることも多いはずです。


「27歳で起業、現在30代に突入し~社執行役員として港区に生息中」「日々スキル向上に努めるのは社会人として必要不可欠」「RT>海外ではこういうの当たり前なんだよなー」「弊社で~のサービスをリリースしました!」

 

これが得体の知れない焦りや不安を増長させます。

 

全ての人には未知の可能性があります。今は上司に嫌味を言われ雑用をこなす新入社員だけど、「あきらめなければ」3年後には会社を立ち上げてCEOと呼ばれる立場になっているかもしれないし、今は過酷な労働に忙殺され女子力のかけらもない24歳独身だけど、「あきらめなければ」5年後には仕事も家事も子育てもバリバリこなすオシャレなキャリアウーマンになってるかもしれない。

 

でも、そもそもそれって本当にあなたの行きたい場所なの?

 

可能性があるだけ、あきらめるのは大変です。だって、あきらめなければできる「かも」しれないんだから。そして、今までそうやってあきらめないで頑張って、生きてきたんだから。でも、自分で自分に過剰に期待しすぎて、逆に自分を苦しめてない?
「~大学に入るぐらいあの時頑張れたんだから、もう少し頑張ればこの壁も乗りこえられるはず」「私はこんなところで終わるような人じゃないんだ」「ここで辞めたら、逃げたみたいに思って後で後悔するんじゃないか」


…あれ?私ってそんな完全無欠の最強鉄人ヒーローだったっけ?

 

あえて言います。

私もあなたも、普通の人です。

 

そりゃあ頑張って、あきらめないで、その末に活躍している人はかっこいいです。世界を良い方向に変える一助となっていたり、若いのにバンバン第一線で活躍していたり、SNSで人に響くようないいことをユーモアも交え言ってたり。

 

でも、果たして私たちは家族と食卓を囲む時間を削っても、友人とくだらないことを話す余裕を失っても、見たいアニメの録画だけがただ溜まっていっても、生理が止まるぐらい身体に不調が起こっても、そこに行きたいの?というか、そこってどこ?

 

頑張るのも、あきらめないのも、壁を乗りこえてやり遂げるのも素晴らしいことです。でも、頑張り屋で素直で心優しいあなただからこそ、頑張りすぎて大切なものを見失ってほしくないのです。まだまだできるはずって思って、頑張りすぎて、自分に期待するからこそちょっとやそっとのことじゃ自分をほめることもせず、厳しい世の中を裸足で走り続けている。もう十分、頑張ってない?


「ほめる」という行為は、期待値に対してそれ以上の効果をあげた時に行うものなので、自分への期待値が高い人ほど自分で自分をほめません。

だから、つらいと思った時こそ、あきらめたいと少しでも思った時こそ、もっと自分への期待値を下げてください。そして、もっと自分で自分をほめてあげてください。大人になった自分を正確にほめられる人は、自分自身しかいないのです。

 

鉄人ヒーローでもないのに、よくここまでこんなに頑張ったね。えらいね。

 

そして、何かあたたかいものを飲んで、美味しいお菓子をかじって、もう一度、自分の本当に大切にしているものや辿り着きたい場所のことを考えてください。そのうえで導き出された「あきらめる」という行為は、決して間違っていないはずです。


あきらめたからといって今までの頑張りが無駄になることは決してありません。頑張ったことは例え少しだけでも、完遂しなくても、間違いなく自分の糧になっています。

 

 

仕事や家事や育児や介護やその他諸々の全てのことを、うっかり頑張りすぎちゃっているであろう未来の私に、ニートの27歳の私からのこのエントリが届きますように。

 

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